自己成長と教育における「達成の把握」
私は昔、自分を褒めることがほとんどできませんでした。理由は簡単で、自分がどこまでできているか、何を知っているか、感情や行動の背景までは把握できていなかったからです。小学生の頃の自分を振り返ると、表面的には「なぜ怒るのか」くらいしか分からず、イライラや癇癪に翻弄されることも少なくありませんでした。他人に褒められることに喜びを感じるのは、肯定された感覚によるもの。しかし、自分で自分を肯定する場合は少し感覚が異なります。それは、自分自身の評価基準を持ち、努力や成長を事実として確認できることが前提になるからです。
ここで重要なのは、単なる結果の確認ではなく、過程・感情・学びの蓄積を含めて把握することです。例えば、ただ「宿題を終えた」ではなく、「途中でつまずいたけれど、自分なりに工夫して解決し、完成させた」という過程を理解していること。それに加えて、なぜその感情が生まれたのか、どのような背景や因果関係があるのかまで把握できることが、自己肯定や教育における達成の本質です。
私が今、自己肯定できるのは、まさにこの理解があるからです。過去の自分が持てなかった「自分を把握する力」を手に入れたことで、感情に流されることなく、淡々と自分の努力や成長を確認できるようになりました。表面的な喜びは伴わなくても、「ああ、自分はここまでやったな」と納得感を持てるのです。
教育や他人に何かを教える際にも同じです。結果だけを伝えても、その背後にある努力や思考、感情の構造を理解してもらえなければ、本当に学びにはなりません。達成の把握とは、結果の確認ではなく、学びの蓄積と次への準備なのです。
私自身、昔はそれができず混乱していました。しかし、哲学的な思考や、過去の自分と似た行動パターンを持つモデル(ひろゆきさんなど)を観察することで、自己分析と感情の整理ができるようになりました。立ち止まっているように見える時間も、実は大きな学びと成長の種を内側で育てている──そう感じるのです。
