人は欲望をわすれてしまったら無能になる
なぜならば欲望というのは人の行動源だと思うのですよ、そしてそれを求めるうえでどうしても障害物すなわち制約が出る、しかし、その制約をどう乗り越えるかに価値があり、乗り越える時、人は何かを生み出すと思うのです、人は基本行動など起こしたくないんです、だって怖いもん、未知の領域に何も知らずに足を踏み入れるほど怖いものはありません、他に何も制約がないなら何もしたくない訳ですよ、なぜならばやらなくても居られるから、人が必死になる時は何かを生み出す”率”は高いのです。
そして話は少し変わるのですが、知的障害を持った子はやたら普通を目指します、じゃあまず最初に普通とは何でしょうか?、普通とはどこにでもあるなんの変哲もない物、代り映えしない物、といった意味があります、そのうえで普通というのはそのグループの数分あると思うのです、なので普通という言葉を多用すると、あなたの言う普通が通らない場合があるのでそこは気を付けましょう。話がそれてしまいましたが、彼ら知的障害を持った方がなぜそこまでして普通を求めるのでしょうか?それは学校教育が関係しています、現代の学校教育では一律で皆同じを目指し育てます、そのためテストの点数や運動能力、更にはその子の個性の差などであっても少しでも変わってる場合、先生に注意されたり、友達がバカにしてきたり、ひどくなると学校ぐるみでいじめをしてくる場合もあります、そうなると彼らはどういう行動になるでしょうか?、はい、周りの子と同じようになりたいと思うようになるのです、それにより自分のせっかく持って生まれた個性を潰し、何ら変わり映えもしない無能でかつ無理をしたことによりメンヘラになるのです、知的障害というハンデを負った上にそのような学校生活を送ったらそれは無能が育ちますよね。しかしきつい内容かもしれませんが私は彼らを擁護する気はありません、なぜならばそれは誰がその選択をしたのでしょうか?、はい、それはあなたですよね、どのような人生、障害を持ってようが持ってまいが、それはあなたが決めること他人にゆだねておかしな人生になってもそれはあなたが原因、もちろんいじめや出る杭は打つような学校の方針はいかがなものかとは思います、が相手を変えることは難しい事なのです、私は実際のそのような人生を送ってきました、人に罵倒され、こき使われ、理不尽なこともたくさんあった、けどよく考えると相手に自分の判断をゆだねた結果起きてた最終的にどういわれようが自分が判断するようになってからはうまく行動ができるようになりました。多少なりとも環境はあるとは思います、私自身小学までは自己中心的な考えでした、つまり自分で主導権を持っていた、中学になり特別支援学校に入り、その主導権を先生たちのあまりにも強烈なやり方により、手放してしまった、その結果どうなったか、よくなるどころか精神的に病みやりたいことがなくなり、何も楽しくなくなった、まるでしは欲望をわすれてしまったら無能になる、なぜならば欲望というのは人の行動源だと思うのですよ、そしてそれを求めるうえでどうしても障害物すなわち制約が出る、しかし、その制約をどう乗り越えるかに価値があり、乗り越える時、人は何かを生み出すと思うのです、人は基本行動など起こしたくないんです、だって怖いもん、未知の領域に何も知らずに足を踏み入れるほど怖いものはありません、他に何も制約がないなら何もしたくない訳ですよ、なぜならばやらなくても居られるから、人が必死になる時は何かを生み出す”率”は高いのです。
そして話は少し変わるのですが、知的障害を持った子はやたら普通を目指します、じゃあまず最初に普通とは何でしょうか?、普通とはどこにでもあるなんの変哲もない物、代り映えしない物、といった意味があります、そのうえで普通というのはそのグループの数分あると思うのです、なので普通という言葉を多用すると、あなたの言う普通が通らない場合があるのでそこは気を付けましょう。話がそれてしまいましたが、彼ら知的障害を持った方がなぜそこまでして普通を求めるのでしょうか?それは学校教育が関係しています、現代の学校教育では一律で皆同じを目指し育てます、そのためテストの点数や運動能力、更にはその子の個性の差などであっても少しでも変わってる場合、先生に注意されたり、友達がバカにしてきたり、ひどくなると学校ぐるみでいじめをしてくる場合もあります、そうなると彼らはどういう行動になるでしょうか?、はい、周りの子と同じようになりたいと思うようになるのです、それにより自分のせっかく持って生まれた個性を潰し、何ら変わり映えもしない無能でかつ無理をしたことによりメンヘラになるのです、知的障害というハンデを負った上にそのような学校生活を送ったらそれは無能が育ちますよね。しかしきつい内容かもしれませんが私は彼らを擁護する気はありません、なぜならばそれは誰がその選択をしたのでしょうか?、はい、それはあなたですよね、どのような人生、障害を持ってようが持ってまいが、それはあなたが決めること他人にゆだねておかしな人生になってもそれはあなたが原因、もちろんいじめや出る杭は打つような学校の方針はいかがなものかとは思います、が相手を変えることは難しい事なのです、私は実際のそのような人生を送ってきました、人に罵倒され、こき使われ、理不尽なこともたくさんあった、けどよく考えると相手に自分の判断をゆだねた結果起きてた最終的にどういわれようが自分が判断するようになってからはうまく行動ができるようになりました。多少なりとも環境はあるとは思います、私自身小学までは自己中心的な考えでした、つまり自分で主導権を持っていた、中学になり特別支援学校に入り、その主導権を先生たちのあまりにも強烈なやり方により、手放してしまった、その結果どうなったか、よくなるどころか精神的に病みやりたいことがなくなり、何も楽しくなくなった、まるで悪徳系の宗教に入ってしまったかのような状態になっていた。
話を戻し、まとめ
そのような状態で新たな者を生み出せるわけがありませんよね、楽しくもないですし、じゃあ何が必要なのか、それは変わった自分を受け入れ、他人に期待や主導権を渡さず、自分の好みを見つけ、生きていくことがとても大切なんじゃないかなーと私は思います。長らく私の戯言をお聞きいただきありがとうございました。、何かのきっかけなれたならいいんじゃないかーと思います。
