プシューサービスは車輪の再発明なのか
プシューサービスには、次の四つの方針があります。
- JavaScriptなしで動く
- データベースなしで動く
- 古いブラウザで動く
- 極力フレームワークやライブラリなしで動く
これらの方針は、ある意味での「車輪の再発明」にも見えるようです。
なぜ車輪の再発明に見えるのか
JavaScriptなし
HTMLという他人が作った言語をそのまま使い、誰かが作ったJavaScriptを使えばいいものを、自ら全部書いている。
データベースなし
これも同様に、他者が作った完成したテキストベースの保存先があるのに、それを使わず、自らJSONやJSONLなどを使って暗号化し、データベースを自作している。これはよく「無意味だ」と言われます。
古いブラウザで動く
こんなもののために古いコードやフォールバックを書いておくなんて無駄だと思うでしょう。これだって、最新の誰かが作ったコードやウェブパックライブラリを用いてやればいいものを、プロトタイプ宣言で上書きさせ、一から書いている。
ライブラリやフレームワークを極力使わない
これこそ、車輪の再発明に見えるでしょう。
これらに共通する軸
これらすべてに共通すること。それは、他人の関与が少なく、依存が少ないことです。これが軸にあります。
「早く量産する」というモデルでない以上、そもそもよくある一般的な手法から見れば、遠回りで保守性が悪いように見える。しかし、一つだけ言えることがあります。
一般的な手法にも欠陥はある
この軸から見ると、現在の一般的な手法にも欠陥があります。
- 他人のコードを使うことによる、バグの見逃しやライセンスの縛り
- データベースを使うことによる、データの破損リスクや移行性の悪さ(例えば別のサーバーに移し替えるなど)
- 最新のフレームワークやライブラリをゴリゴリ使い、古い手法を切り捨てることによるマイノリティの排除と、それによる一部層の使い勝手の悪さ
だからこそプシューサービスは、「できるだけ依存しない」を目標に掲げたと言えます。
では、プシューサービスは誤りなサービスだったのか
これについては、私も何度か自問自答を繰り返しました。でもやっぱり、捨てようにも捨てられないものです。
なぜなら私にとっては、JavaScriptなしで動く・データベースなしで動く・古いブラウザで動く・極力フレームワークやライブラリなしで動く——これらがないサービスは弊害に見えたけれど、大衆にとっては弊害ではなかったからです。
つまり、大衆が弊害だと思わない以上、少なからずこの構成を持つサービスやライブラリやフレームワークは生まれにくく、これが大衆的なものになることは考えにくい。少なからず、それが作り続ける理由の一つなんだと私は思っています。
結局のところ
誤りか否かについては、しっかり答えられていません。ただ少なくとも、「誤りか否か」という二択そのものが誤りなんだろうな、と。
むしろこれは、大衆が求めるものと私が求めるものの「方向性」の違いの話であって、善悪や、間違い・間違いではない、という二元論で測ろうとすると壊れてしまうんだろうな、と思っています。 それでプシューサービスは誤りなサービスだったのか、これについては私も何度か自問自答を繰り返しました、でもやっぱ捨てようにも捨てられないものです、なぜなら私にとってプシューサービスはJavaScriptなしで動く、データベースなしで動く、古いブラウザで動く、極力フレームワークやライブラリなしで動くがないサービスは弊害に見えたが大衆は弊害ではなかった、つまり大衆が弊害に思わないという点において少なからずこの構成を持つサービスやライブラリやフレームワークは生まれにくく、これが大衆になることが考えにくいと言える、少なからずそれが作り続ける理由の一つなんだと私は思ってたりします
結局誤りか否かについてはしっかりこたえられていませんが、少なくとも誤りか否かの二択が誤りなんだろうなと、むしろ、大衆が求める物と私が求める物の”方向性”の違いの話であり、善悪や間違い間違いではないの二元論で図ろうとすると壊れてしまうんだろうなとね
