知的障害と“自己ラベリング”の話 〜無意識に自分を縛ってしまう前に〜
はじめに
「知的障害があるから仕方ない」「自分には無理だと思う」――そんな言葉を、誰かから言われたり、自分で思ったりしたことはありませんか?
もしかしたら、それは“逃げ”ではなく、心を守るための防衛反応かもしれません。でも、そういった言葉が繰り返されると、いつの間にか自分で自分にラベルを貼ってしまい、「自分はできない人間なんだ」と思い込んでしまうことがあります。
この文章では、知的障害という特性を持つ人が無意識のうちに「自己ラベリング」をしてしまい、それによって成長のチャンスを閉ざしてしまうという現象について、私の経験も交えながらお話しします。
逃げることは悪ではない
まず最初に強く伝えたいのは、「逃げることは悪ではない」ということです。
誰だって、つらいときや苦しいときには、立ち止まったり、避けたり、距離を取ったりすることがあります。それはとても自然な反応で、自分を守るためには必要な行動です。心や体が限界に近いときには、逃げることが命を守ることにもなります。
ただ、その「逃げ」がずっと続くと、いつの間にか前に進むことを忘れてしまうことがあります。「もう自分は変われない」「どうせ無理だからやめておこう」と思い続けているうちに、本来持っていた可能性や伸びしろに気づけなくなってしまうのです。
自己ラベリングの怖さ
知的障害があると、「あの人は障害があるから仕方ないよね」と周囲に言われたり、それを聞いて「自分はできない人間なんだ」と思ってしまうことがあります。
これはある意味、心の痛みから自分を守るための“ラベリング(レッテル貼り)”です。「できなくて当然」と思っていれば、失敗しても傷つかなくて済みます。挑戦しなければ、傷つく機会も減ります。
でもその反面、「できるようになるかもしれない」という未来を、自分から閉ざしてしまうことにもなります。
実際に私自身も、「自分は障害があるからこれ以上は無理」と思い込んでいた時期がありました。でもその時期は、何をやっても成長を実感できませんでした。今思えば、心のどこかで「どうせダメだ」と決めつけていたから、本気で向き合えなかったのかもしれません。
成長のスピードは人それぞれ
知的障害があると、物事を覚えるのに時間がかかったり、理解するのに何度も繰り返す必要があったりします。だけど、それは「できない」という意味ではありません。
例えば、普通の人が10回でできるようになることを、私は50回、100回と繰り返す必要があるかもしれません。それでも、続けていけば必ず前に進めるということを、私は少しずつ実感しています。
健常者でも、大人になると学ぶことをやめてしまう人も多い中で、ゆっくりでも学び続けていれば、やがて追いつくこともできるし、時には追い越すこともあります。
努力の量や継続の力というのは、遺伝子や障害の有無に関係なく、人に備わっている可能性のひとつだと私は思っています。
「無理しろ」ではなく「自分のペースで」
ここで大事な注意点があります。
この話をすると、「じゃあ無理し続けろってこと?」「自分とは違う人の話でしょ」「あなたにはできても、私は違う」と感じる人もいるかもしれません。
そして、「やればできるのに、あなたは逃げてるだけだよ」なんて言われると、人は自然と反発したくなるものです。
だからこそ、私が伝えたいのは「あなたのペースで、無理のない範囲で大丈夫」ということです。
たとえ今すぐには動けなくても、気持ちが落ち着いたとき、少しでも「やってみようかな」と思えたときに、小さな一歩を踏み出すだけでも、確かな前進です。
それが「成長」だと私は思います。
おわりに
私たちは、知らず知らずのうちに自分にラベルを貼ってしまうことがあります。
それは時に自分を守る盾になりますが、同時に、未来の可能性を閉ざしてしまう壁になることもあります。
「逃げるな」とは言いません。むしろ、ちゃんと休んで、自分を大切にしてほしいです。そのうえで、もしまた前を向けそうな日が来たら、ほんの少しだけ勇気を出して、自分の殻を破ってみてください。
誰よりもゆっくりかもしれない。でも、確実に成長できる。私はそう信じています。
